自殺という人生の終わりは、バツ×な生き方?

こんにちは

「終わりにマルと思える生き方研究所」

共同代表さわとん(澤登和夫)です。

 

 

僕らは「終わりにマルと思える生き方研究所」

オワマル研究所、

 

ということで、人生の終わりにマルと思たらいいね、

そのために自分の⭕️を深めていこうね、⭕️を広げていこうね

という感じで活動しています。

 

 

そんなことを思う中で、ぼくはよく考えることがあります。

 

それは文字通り

「終わりに◯と思える生き方」

ってなんなんだろう、

ってことです。

 

人生の終わりに◯と思える、、、

 

ということは、

人生の終わりに

この人生でよかったな、

と思えるということ。

 

 

でも、そう思えずに人生を終えることもある。

 

その極端な例、

それは、

自ら命を絶つこと、つまり、自殺(自死)。

 

自ら命を絶つ人で、

この人生でよかったって、その時に思っている人は少ないと思います。

 

ぼく自身、重度のうつになり、2005年に自ら命を終えようとしました。

マンションの最上階から飛び降りました。

 

結果的に骨折ですんでここにいますが、

まぁ1秒1秒苦しくて

「早くこのしんどさから解放されたい」

「とにかく楽になりたい」

という気持ちが後押ししました。

 

あの飛び降りる時に

「我が人生が⭕️だった」とはとても思っていない。

「なんでこんな人生になってしまったのだろう」を日々考えていたな。

 

 

人生をやめたいと思ったとき読む本

 

その後、元気になってうつ専門カウンセラーとして起業し、人生やめたい人とも多く接してきました。

一人一人苦しいなぁ。

とにかく今、苦しい。

あるいは、希望が無い。

 

さて、

でも、

じゃぁ

どうなのだろう。

本当に、自殺で亡くなることが不幸せなのだろうか。

 

例えば、、

自分なりにやりたいことがあって、意を決してチャレンジした。

でも、結果的にうまくいかなかった。

結局、追い詰められて、数年後に、自ら命を絶つ。

 

だったら、チャレンジしなかった方がいいのか。

であれば、その最後にはならなかったかもしれない。

でも、本当にそれでいいのか。。

 

うーん、まぁ色々と語り切れないのでここら辺にします。

そうならないようにできることも色々あるでしょう。

遺されたご家族が、、、もわかるし、

中途半端にフォローしてもあれなので、

今日はこのくらいにします。

この問題を、今日は出してみたかった。

 

 

最後に、ぼくが思うこと、

ぼくがやっぱり大事かなと思うこと、

を書きます。

 

それは、終わりどうこうとは別に、

「今を生きる」

ということ。

 

命は有限と知った上で

「今を生きる」

ということ。

 

終わりに◯と思えたらいいな、

と思いつつも、

今を生きること。

 

その積み重ね。

 

最後だけ切り取ってもあまり意味はない。

 

そして、自ら命を絶つような人も、

いやそんな人こそ、

今を、

生きている。

 

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