初めまして、小松さやかです。
私は1975年、豪雪地帯の新潟県上越市で生まれました。
地元の国立大学(新潟大学教育学部小学校教員養成課程)を卒業し、その後1年制の社会福祉士養成学校に進学。
23歳の時に、国家資格である社会福祉士を取得しました。
就職先は精神科病院。精神科ソーシャルワーカーとして働きました。
その1年後、県内の総合病院に転職。
地域の中核病院で医療ソーシャルワーカーとして従事した後、介護保険のスタートに伴い介護老人保健施設の支援相談員になりました。
(老健時代:入所者様との懐かしい写真)
ずっと新潟県で暮らしていたのですが28歳の時に、「死生学」の勉強と在宅医療の現場で働きたいという2つの理由で上京。
在宅医療の現場でソーシャルワーカーとして働きながら、大学院で「死生学」を科目履修生として学びました。
28歳で新潟を離れました
親には大反対されましたが(笑)
病院時代に、いろんな患者様・ご家族の相談に乗らせていただく中でこれらの想いを強くしたのが一番の理由です。
1、命は有限であるということ
2、医療の現場では「選択」の連続、自分で情報を集め、そこから選び、決めて人に伝える力が必要(若い時から)
3、どんな生き方をしてきたかが最期に現れるということ(特に家族関係)
・どうしたら最期まで自分らしく生きることができるのだろうか?
・どうしたら最期に後悔しない生き方をすることができるのだろうか?
・私は、どう生きるのか?
・ソーシャルワーカーとし出来ることはあるだろか?
この問いが25歳くらいからずっと、続いていました。
「病院の中だけじゃない。何かもっと前からサポートできることがあるんじゃないか」と思って。
そんな中で「死生学」を大学院で学んだり、末期がんの方や神経難病の方の在宅医療に関わりたくて上京しました。
私自身が、一度は地元を離れていろんな世界を見たかったのも大きな理由です。
その後30歳で、福祉専門学校の教員になりました。
40歳で起業するまで、社会福祉士・精神保健福祉士を目指すクラスの担任をしていました。
その間に結婚・2人の娘の出産を経験しました。
40歳2児のママが起業!
はい、2人目の育休が終わるのを機に。
迷いはありましたが…
それまで学んで資格も取得していた「ライフコーチ」として起業しました。
2015年春。上の子が5歳。下の子が1歳になる時でした。
病院時代に感じた想いを仕事にしたいと強く思っていたことや、子育てをしながら仕事をするために自分で時間を調整できる「起業」に憧れたのもあります。
おかげさまで、起業1年目からクライアントさんに恵まれて、順調に起業人生をスタートさせました。
1年目は、専門学校でコーチングの授業を受け持ったり、自治体の公民館事業として「終活講座」をしたり、女性向けの起業塾の講師もしたり。
いろんなことを経験しました。
自分らしく働くって本当に楽しい!
と思っていたのですが、なかなか大変なこともあって(これは別のところで赤裸々に語りますね……笑)
私自身が、まだまだ自分を否定していたことに気づくことになりました。
2018年の春からは、
「終わりにマルと思える生き方=おわまる」というコンセプトでライフサポートをスタートしました。
私自身、自分に対して深くバツをつけていたことに気づいて、そこから「どんな自分にもマルをつける」に取り組んだことが、今の「おわまる」の仕事に繋がっていきました。
それから5年。
いろんな方と出会い人生をサポートさせていただくご縁に恵まれました。
「終わりにマルと思える生き方をサポートする知識・技術・あり方を整える養成講座」も多数開催してきました。
実は、これまで辞めたいと思ったことは・・・
実は、辞めたいと思ったことがあります。
辞めたいというより、もう無理かもということは多々。
でも、本当に自分が大切にしたいと思っていることを仕事にできている実感があって。
「終わりにマルと思える人生を歩む人を増やしたい」という想いも全く消えなかったんですよね。これってきっと「使命」なのだと思います。
使命が見つかったことに感謝して、これからはもっと「おわまるな人」を増やすことに貢献したい。そう思っています。