【みんなのスピリチュアルケアVol.2】痛みをスルーしている時に起こること

前回は、「スピリチュアルペイン」についてお伝えしました。
【みんなのスピリチュアルケアVol.1】 あなたのその悩みは「スピリチュアルペイン」かも?
今回は、「痛みをスルーしていると起こること」について。
「痛み」を「痛み」として捉えることができていない。
当たり前の話ですが、
辛いと感じていても、それを「痛み」として捉えることができないと「ケア」することはできません。
私たちは小さい頃から、
「身体的苦痛」に関しては、痛みとして捉え表出することを覚えてきました。
お腹が痛い。
足が痛む。
熱があってだるい。
など
ケアとしては、
体を温めたり、冷やしたり、休んだり。
あまりにひどい時は、病院に行って診断してもらって治療を受けたり。
身体的苦痛へのケアはどうしたらいいのか、これまでの経験の中で学習してきています。
ところが、心理的苦痛(辛い、悲しい、イライラ)や精神的苦痛(生きる意味が見出せない、無価値感など)に対しては、学習する機会が少ない。
だからこそ、こうなる。
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痛みとして自覚できない
↓
ケアの方法が分からない。
↓
1人で抱えてしまう。我慢してしまう。
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これが状態を悪化させてしまう。
特に、生きる意味が見出せないというような、
「スピリチュアルペイン」に関しては知識がないので、
何かしらモヤモヤした辛さを感じていても、
痛みという自覚がないまま、ずっと抱えることになります。
痛みは不快ですから、私たちは無意識のうちに、
感じないように、その痛みを奥深くに閉じ込めようとしてしまいます。
もし、自覚できたとしても、
「健康で仕事もあるのに、辛いなんて言ってはだめ。」
と自分に言い聞かせて、悩む自分にダメ出ししてしまうのです。
無自覚もしくは放置することで起こること
スピリチュアルペインに無自覚だったり、放置したままにしていると起こることがあります。
それが
自己肯定感の低下
なのです。
スピリチュアルペインとは、
人間だからこそ持つ痛みです。
痛みは、人間の感じる力でもあります。
感じるとは、その人そのもの。
自分が感じていることに無自覚であったり、スルーしているということは、
自分との繋がりが薄れていくということでもあります。
特に、
スピリチュアルペインは、生きる意味や価値、目的が分からないという痛み。
そこに向き合わないということは、自分の人生に向き合わないということ。
自分の人生に向き合わないということは、
自分を大切にしていないということ。
そりゃ、自分も拗ねますよね。
自分が自分である自信も低下しますよね。
自己肯定感が下がるのも当然です。
自己肯定感が下がるとどうするか。
なんとか上げようとします。
どうやって上げようとするのか。
人に認められることで自己価値を上げようとします。
誰かにとって良い自分になろうとするのです。
自分の人生なのに、他人軸の人生になっていくのです。
みぃちゃんのエピソード② 自分が我慢すればいいと思っていた
さて、今回もみぃちゃんに登場してもらいましょう。
4年前、スピリチュアルペインを抱え、
セッションのたびに泣いていたみぃちゃんは、
自己肯定感が下がり、
自信を無くし、
他人軸で生きるようになっていました。
人の目をものすごく気にしていたし、
「みんなのためにも、自分が本当にしたいことは我慢したほうがいいのだ。」
と思うようになっていました。
他人軸になっている人のわかりやすい特徴があります。
それは、
[keikou]話の主語が他人になっていること。[/keikou]
「あの人が〜と言ったから」
「あの人が〜ということをするから」
あの人が、この人が。
人を主語にした話ばかりです。
しかも、無意識だから本人は気づいていない。
私が、
「人を主語にしている話ばかりですね〜」
とフィードバックすると、
ハッとした顔をしたのを覚えています。
私がセッションで繰り返し問いかけていたのは、
「みぃちゃんは、どう感じているの?」
「みぃちゃんは、どうしたいの?」
でした。
「私は〜」という、自分を主語に話をしてもらいました。
そうやって、自分を主語に語るようになるうちに、どんどん軸は自分に戻ってきます。
自分の内側と対話するようになります。
感じる力が戻ってきます。
感じる力=スピリチュアリティが戻ってくるのです。
「本当は行きたい場所に遠慮なく行きたい。」
みぃちゃんが、本当は望んでいることを口にするたび、私はそれを否定せず○を投げ続けました。
そして、セッションを重ねるごとに、
自分が感じていることに自信を持てるようになり、
自分が大切にしたいと思うことを大切にする。
そんな選択をするようになっていきました。
みぃちゃんが、
「自分が設立したNPOを辞める」
と言い出すまで、それほど時間はかかりませんでした。
他人軸になっていませんか?
自分として生まれたことの意味は、
あなたにしか感じられれないものがあるということ。
これまでの人生の中で、
「あなたはどう感じるのか?」
「あなたはどうしたいの?」
と聞いてもらえた経験。
大切な1人の人間として関わってもらえる機会が少なかった人は、
大人になっても、
自分のことを大切なかけがえのない人間として扱うことができずにいるかもしれませんね。
私もそんな1人でした。
でも、いつからだって大丈夫。
今ここから、自分の中にある「感じているもの」を大切にしようと思えば、
スピリチュアルペインは薄れ、
逆に、生きることの喜びが増やしていくことはできるのです。
第3回はこちらから
↓
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