自分への◯つけ。全てはそこから始まる

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所長&共同代表プロフィール(それぞれの◯つけ人生ストーリー)

所長小松さやか、共同代表澤登和夫(さわとん)のプロフィールをそれぞれの◯つけストーリーもあわせてご紹介します。

小松さやか (所長)

一般社団法人 終わりにマルと思える生き方研究所・所長

 

精神科・一般病院・老健・在宅医療などでMSWとして働いた後、10年間福祉専門学校教員として、ソーシャルワーカー育成に関わる。

教員時代に学んだライフコーチングとの出逢いによって、自分との対話の必要性を実感。

2015年(40歳)の時、ライフコーチとして独立。

 

2018年より、終わりにマルと思える生き方(オワマル)というコンセプトを掲げたところ、想いに共感したクライアントさんが続々と集まるようになる。

 

現在、「一般社団法人終わりにマルと思える生き方研究所」を発足し、マルと思える生き方の研究・実践を行っている。

さいたま市在住(10歳、6歳の2人の娘の子育て中)

趣味は、日本酒と読書

YouTubeでマルつけについて配信中

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小松さやかの⭕️つけ人生ストーリー

20代、病院でソーシャルワーカーとして働いていた私は、仕事を通して人生で最も大事な学びをします。

 

 

「命は有限。誰もが最後は死ぬ。生きている時間をもっと大切にしよう。」

 

そのことを実感した私は、「後悔しない人生を歩む」という思いを強くしました。

 

そして、20代終わりから、自分が「やりたい!」と思ったことは諦めず行動に移し始めました。

 

・病院を辞め、28歳で上京。

・大学院で死生学を履修。

・誘われていたビジネスに挑戦。

・「生きる」をコンセプトに様々なイベントを企画主催

・夢を語るプレゼンテーション大会に出場

・社会起業家を目指して葬儀会社とコラボ団体を運営

・結婚、出産後、40歳でライフコーチとして独立起業

などなど 

 

振り返れば、自分の「やりたい」に従って行動した結果、大きく人生を変えることができました。  

 

ところが、独立から2年後、どん底を体験することになります。

 

経済的に大変な状況に陥ったのです。

実は、そんな状態になったのは2度目でした。

 

「なぜ、私は2度も経済的にどん底の状態になったのだろうか?」

 

徹底的に自分と向き合いました。

 

そして、気づいたことは

「自分に深いバツをつけていた」

ということでした。 

 

このままの自分では足りない。不足している。

だから、もっと得なくては、もっと大きくならなければ、成功しなければ。 。

 

そんな不足感からの行動は、不足の現実を創り出していたのです。

 

そのことに気づいた私は、徹底的に

「このままの自分に◯をつける」

ということに取り組み始めました。     

 

すると、驚くことに数ヶ月で効果がで始めたのです。

 

家族関係も、仕事もどんどん良い方に導かれるようになり、気づけばどん底から抜け出していたのです。  

 

全てが◯となる現実が創り出されたのです。  

 

私はその学びを私と同じように現実で悩みを抱えている方々に伝えはじめました。

 

そして、◯つけのすごさをその方々と共に体験していきました。

 

自分自身や人生に対して深いバツをつけていた方々が、次々と◯と思える人生へと変わっていくことができたのです。 

 

◯は全ての始まりです。

 

誰かに◯をもらうための選択ではなく、自分で◯と思える選択ができる生き方。

 

それこそが、終わりに◯と思える生き方だと思っています。

 

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共同代表 澤登和夫(通称さわとん) 

一般社団法人終わりにマルと思える生き方研究所・共同代表

本輝プロデューサー

 

サラリーマン時代、過労と心労から5年半の重度のうつ病を経験。マンションの最上階から飛び降りたことも。

さらには体も蝕まれ、難病の潰瘍性大腸炎により大腸全摘出。

元気になった後、自身のうつ経験を活かし、うつ専門カウンセラーとして2008年に起業。

「うつ蔓延社会をうつ円満社会へ」をスローガンに掲げ、うつだけでなく誰もが安心して過ごせる壁の無い社会を目指す。

5年以上活動を続けてきた頃、うつに関わらず全ての根元は”自分関係”だと行きつき、「自分を人生最強のパートナーに!」との想いで2015年「日本セルフパートナーズ(SP)協会」設立。

 

2020年10月、12年来の親友だった小松さやかのオワマルの考えや、小松のクライアントさんが◯つけでどんどん進化する姿に衝撃を受けオワマルに合流、小松と共に終わりに◯と思える生き方研究所を設立。

また、”本輝プロデューサー”として、着飾りすぎずその人本来の輝きのままで人生が豊かになる生き方支援、起業・活動支援を行っている。

 

講演依頼は年間約50回。全国の自治体や企業からの自殺対策(ゲートキーパー研修)やメンタルヘルスの依頼が多い。

「NHKおはよう日本」「生活ほっとモーニング」などNHKに10回以上出演。

著書は「ありがトン(サンマーク出版)」、「人生をやめたいと思ったとき読む本(東洋経済新報社)」他3冊。

千葉県佐倉市在住。2歳の男児のパパ。

趣味は歩くことで、歩いて千葉県一周したことも。

株式会社ありがトン代表

澤登和夫(さわとん)の⭕️つけ人生ストーリー

新卒で物流会社に入社して3年、27歳で会社の代表として選ばれ大手船会社に出向することになりました。そして時を同じくして結婚。栄転と結婚が重なり人生順風満帆だと思っていました。

(写真上段右から二人目のやけにネクタイが長い人です)

 

しかし、そこから4ヶ月でぼくは「うつ病」と診断されます。

きっかけはうつでよくある典型的な過労と心労です。確かに仕事量は多かったです。

 

ただ、根本的な原因はもっと奥にありました。

それは、人の目をすごく気にしていたということです。

簡単に言えば「自分がどうしたいか」という基準よりも「どうしたらほめてもらえるのか」という基準が圧倒的に多かったのです。

職場でも

「どうしたら評価されるだろうか」

と過度に上司の顔色をうかがいながら、自分を変化させていました。

 

振り返れば、学生時代からそうでした。

例えば「自分が観たいからこの映画を観る」というよりは、「みんなが観ているから観に行こう、行かなくちゃ」みたいな感じのことが多かったのです。

自分がこうしたいという自分の軸が少なかったので、人や社会、流行に左右される人生でした。

素敵な人を見ると、そこが足りない自分と比較することも多かったです。

 

つまり、人から◯をもらうのはそれなりに得意だったけれど、自分から自分に◯をつけることが苦手だったのです。

周りの人や環境次第で◯が変わってしまう。

それは今考えれば、ものすごくパワーを使っていたのだと思います。

 

それでも27歳で出向するまでは何とかなってきたけれど、出向先で仕事ができる人ばかりの中で自分のキャパをオーバーした時、すぐに「うつ病」という形で現れました。

うつ病になったことで、さらに自分が無くなっていく感じでした。

そしてそれから3年後、もうどうしようもなく1秒1秒が苦しくなって、ぼくはマンションの最上階から飛び降りました。

結果的に足の骨折だけですんでここにいます。

(この頃、自分なりに死と向き合ったことも「オワマル」への想いにつながっています)

 

死にたい気持ちは数ヶ月で和らいだものの、今度は体が蝕まれます。

難病の潰瘍性大腸炎にかかり、結果的に大腸を全摘出。

心身ともにズタボロの日々が続きました。

 

そんなどん底から元気になっていったのは、「自分への◯つけ」と密接に関連していました。

当初は「もっと完璧な自分にならないと」と、うつで働かない頭をフル回転させて本をたくさん読んだりもしました。

「自分の中の嫌な部分、できない部分(×)を減らさないとダメだ、幸せにはなれない」と思い込んでいました。

 

でも、5年半かかって、、逆だったことがわかりました。

「このまんまの自分でいくしかないんだな」

「×を持ったままで、それも自分なんだ。自分の中に×がたくさんあってもいいんだ」

「そんな今の自分にOKを出していこう」

「この自分で生きていこう」

悟ったというか、これでいくしかないと諦めた感じが近かったと思います。

 

ぼくの体は、ぼくにうつ病、難病という体験までさせながら、人生で一番大切なことを教えてくれたのかもしれません。

「嫌な部分や×がたくさんあるままでOK、それも含めて◯」

これが腑に落ちてから、ようやく人生の明かりが少しずつ見えてきました。

そこから少しずつ楽になって、うつからも開放されていきました。

 

そしてそれから約1年後、せっかくこんな経験をしたし人生一度きりだからと思い切って34歳の誕生日に「うつ専門カウンセラー」として起業。うつ円満社会という、うつの壁のない社会を目指し始めました。

起業する中で「自分がやりたい」を大事にし、そのセンサーの感度を高めながら、自分の軸を整えていきました。

 

そして起業から約6年経った41歳の頃、

「うつを治すことにフォーカスしてては、人生が幸せになるとは限らない」

「自分がそうだったように、もっと根本的なところを改善するサポートがしたい」

「そのためには「自分関係」が何よりも大事だ」

と辿り着き、「自分を人生最強のパートナーに!」というスローガンの元に「日本セルフパートナーズ協会」を設立しました。自己肯定感を高めながら自分で自分に◯をつけていく、というサポートに力を入れ始めました。

 

そして46歳、2020年10月、表現は違えど同じような活動をしていた12年来の親友である小松さやかの「オワマル」や「マルつけ」の想いに賛同しオワマルに合流、終わりにマルと思える生き方研究所の共同代表として活動を始めました。

今振り返れば、人から認めてもらうこと、人から◯をもらうこともとても大事なことです。

でもぼくはそこが強すぎて結果的に苦しかった人生が、自分で自分に◯をつけることが得意になりすごく楽になりました。

今は、同じように自分への◯つけが得意になりたい人たちと関わらせてもらいながら、自分への◯つけ上手になり自然と周りの人にも喜ばれる人が増えていることにとても喜びを感じています。

 

 

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