自分への◯つけ。全てはそこから始まる

 「終わりにマルと思える生き方研究所」設立までのストーリー

終わりにマルと思える生き方研究所、通称オワマル研究所設立までのストーリーを所長小松さやかがまとめました。

 

ソーシャルワーカーという仕事が原点

23歳。私は、精神病院のソーシャルワーカー(PSW)として就職しました。就職するまでほとんど関わることがなかった精神疾患の患者さん、そしてご家族との出会い、、

今思い返せば、私がここまで「人をサポートする仕事」を続けてこれた原点とも言えます。仕事を通して、人に関わる仕事の面白さややりがいを感じることになりました。精神病院での仕事の面白さを感じていたものの、学生時代から憧れていた総合病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)に24歳で転職。外来、急性期病棟、療養病棟を担当しました。

 

患者さんとご家族は様々な選択に迫られます。治療、リハビリ、介護、看取り。それぞれのステージで、「何を望むのか?」「何を選択するのか?」を問われます。

 

しかし、ほとんどの方は、人生で初めての経験。すぐに答えは出ません。混乱で考えがまとまらず、医療者に選択を委ねる方も多くいました。治療法にしても転院先にしても、「本当にこれでよかったのか?」私自身、相談支援という仕事に関して迷い後悔を感じることが多々ありました。

 

その頃抱いたのが、

・ソーシャルワーカーとして、人生の終わりに後悔しない人を増やしたい。

・1個人として、後悔しない人生を送りたい。

という想いでした。

 

 

終わりに後悔しない人生を歩むために

そんな想いが徐々に強くなった私は、28歳で新潟から上京。在宅医療の現場でソーシャルワーカーとして働きながら、「死生学」を大学院で学ぶことにしたのです。難病の方、末期癌の方の在宅医療サポート、さらには死生学の学びを通して、私自身が学んだことは、とてもシンプルなものでした。

 

「人はいつか死ぬ。今をもっと大切に生きよう」

 

ところが、この「今をもっと生きよう」と決めた私はこの後、どん底を味わうことになるのです。

 

 

うまくいかないをたくさん経験

私自身が後悔しない人生を歩みたい。医療福祉の仕事だけではなく、いろんな世界をみてみたい。そんな気持ちで、全く異分野のビジネスに飛び込むことにしたのです。

 

しかし、その裏には「もっと自由にいろんなことを体験したい。そのためにはお金が必要。もっと成功しなくてはいけない。」そんな焦りのような気持ちがあったのです。

 

結果は散々。その頃には医療ソーシャルワーカーの仕事も、お金も、自信もなくなっていました。

 

そして、いつの間にか、「ソーシャルワーカーとして終わりに後悔しない人を増やしたい」という想いが消えていたのです。

 

 

諦められない想い

30歳になった私は、もう一度福祉の仕事に戻ろう!と決め、今度は教育機関(福祉専門学校の教員)に就職します。

 

最初の担当は卒業学年(3年生)。全ての学生の就職が決まり、新年度を迎えようとしていた3月末のある日。私は、自宅アパートで火事を起こしてしまったのです。燃え盛る火の中、飛び降りた私は、奇跡的に助かったのです。

 

「人はいつ終わりを迎えるか分からない」

 

そのことをリアルに、強く感じた事故でした。

 

火事から2年ほど経ち、私は自分自身の経験を通して「人は必ず死ぬ。終わりに後悔しない人生を送ろう。今を大切に生きよう。」そんなメッセージをたくさんの人に伝えたいと思うようになりました。

 

 

「デス・エデュケーション」という夢

34歳の時、私は「デス・エデュケーション(死から生を学ぶ)を広める」という夢をドリームプラン・プレゼンテーションという大人が夢を語る大会でプレゼンさせていただく機会を得たのです。

 

その時、サポートしてもらったのがこの大会の前年度のプレゼンターでもあった澤登和夫(さわとん)です。

 

そして、この時のプレゼンをきっかけにして、葬儀会社とコラボした団体を立ち上げました。専門学校の教員をしながら、ライフワークとして様々なゲストを及びして「死から生を学ぶ」デスエデュケーションの場を作りました。

 

そんな私の活動を知った、NPOや市町村の公民館事業担当者が「研修講師」として声をかけてくださるようになっていったのです。

 

「ライフコーチ」として、1人ひとりが後悔しない人生を歩めるサポート

そんな活動をしながら、私はさらに個人の生き方のサポートが必要だと思うようになりました。

・自分の本当の気持ちを知ること

・気持ちに従った選択ができること

・結果に責任を持つこと

若い時・健康な時から、これらのことを意識し力をつけていくことが、終わりに後悔しない人生につながると考えたのです。

 

36歳。私は専門学校の教員をフルタイムでしながら、かつ、2歳の娘の子育てをしながら、ライフコーチになる学びを始めたのです。39歳で次女を出産するころには、ライフコーチの資格も取得し、数人でしたがクライアントさんも持つようになっていました。

 

1年間の育休が終わる40歳の3月。私は、10年間お世話になった専門学校を退職し、ライフコーチとして独立・起業しました。

 

 

起業は順風満帆・・・とはいかず

2015SNS起業ブーム。キラキラ起業女子という言葉が流行るほど、ちょっと特殊な時代でした。そんな波に乗り、私の起業1年目は順調にスタートしました。

 

ところが2年目から少しずつ流れが悪くなります。結果的には、仕事もうまくいかず、経済的にもどん底になったのです。ちょうど夫も仕事を辞めるという時期でもあり、我が家は火の車でした。

 

ところが、このどん底が転機になりました。

 

 

「オワマル」の誕生

どん底になってようやく、私は「このままの自分はダメだ」という✖︎設定があることに気づいたのです。

 

このままの自分ではダメだから、もっと頑張らなくては。

このままの自分ではダメだから、もっと得なくては。

 

こうした設定こそが、頑張っているのにいつもうまくいかない原因だとようやく理解することができたのです。

 

そこから、私は毎日のように、「このままの自分でうまくいくということにする」と自分に言い聞かせました。

今、私たちがお伝えしている「トレ=つけトレーニング」の原点です。

 

そんなことを言い続けて数ヶ月ほどしたある日、私にこの言葉が降りてきたのです。

 

「オワマル」

 

これまで私が言い続けてきた「終わりに後悔しない生き方」という言葉を肯定形で表現しようと思いついたのです。

その時、思い浮かんだのが、「終わりにと思える生き方」でした。略して「オワマル」。

この響きに「これだ!」と思ったのです。

 

2018年春のことでした。

 

 

オワマルとつけを伝え始める

ちょうど同じ時期、私に起業仲間からあるオーダーが入りました。

「さやかさんからライフサポートを学びたい。何か講座をつくってくれませんか?」

と。

 

その方のオーダーに応える形で生まれたのが、オワマルライフサポーター養成講座でした。

2018年9月~20220年2月まで連続で3期まで。名古屋でも開講。12名のオワマル・ライフサポーターが誕生しました。

この講座に集まる方々は、かつての私のように、自分に✖︎をつけて苦しんでいる人たちでした。

自分に✖︎がついていると、自分で選択する力が弱まります。そして、後悔が残っていきます。人生の流れが滞り、苦しくなります。

その方々に、自分の経験を通して得たことをサポートしているうちにできたのが、「つけ」というメソッドなのです。

 

「終わりにマルと思える生き方研究所」設立

202010月、12年来の仲間だった澤登和夫(さわとん)が、オワマルを学んだ仲間たちの雰囲気の良さに触れたのをきっかけに、オワマルの仕事に合流。 

 

「終わりにマルと思える生き方研究所」、通称「オワマル研究所」が誕生しました。

 

そして、これまで築いてきた「つけメソッド」を「トレ!」として体系化。

 

さらに11月からは「トレ!」を伝えられる人を養成する「◯トレ!インストラクター養成講座」を開講。

20213月には1期生11名が卒業しました。

 

そして4月からは2期がスタートしました。

 

 

私たちは、「自分に自分でをつける」というシンプルなメソッドをお伝えすることを通して、終わりにと思える人生が送ることができる社会の実現に貢献していきます。

 

 

 

Copyright© 終わりにマル◯と思える生き方研究所 , 2021 All Rights Reserved.