改めて「オワマル」について考えた夏

 

こんにちは、オワマル・ライフコーチの小松さやかです。

 

 

 

昨日、8月15日は、

 

終戦記念日。

 

お盆。

 

そして、満月。

 

 

 

義父のお通夜から、ちょうど2週間が経ちました。

 

 

 

 

小学3年生の長女が夏休みに入ってすぐ、

義父が肺炎で入院。

 

 

 

 

入院の前日まで仕事に行っていたのに・・・

帰宅後、熱が出て、

1日家で療養しても熱が下がらず、受診。

「肺炎になりかけている。」

ということで入院に。

 

 

 

 

入院計画書には

「1週間の入院予定」

と。

 

 

 

 

本当にその通りになってしまいました・・・

 

ちょうど7日目の朝、心肺停止。

 

 

 

 

還らぬ人となりました。

 

 

 

 

 

あの朝から、義母をサポートするために、

私たち夫婦、そして子供達の生活のリズムが、

ずっと「特別」状態。

 

 

 

 

そして、昨日8月15日を過ぎて、

ようやく今日から、日常に戻れるような気がしています。

 

 

 

この3週間ほど、「今を大切にすること」がいつも以上に大切に感じて。

 

 

 

仕事をどうしようとか、

あれをやらなくちゃ

これをやらなくちゃ

という考えが浮かぶたびに、

「いやいや、今だからこそのこのリズムを大切にしよう」

と思ってきました。

 

 

だから、のんびりモードで、

義母との時間を優先。

 

 

 

でも、そういう動かない時間こそ大事なのです。

 

その間、私は、

「オワマル」という概念について、さらに深く見つめることができたのです。

 

 

 

生き方が最期に表れる

 

 

「生き方が最期に表れる」

 

 

これは、私が医療ソーシャルワーカー時代に感じたこと。

オワマルにつながる原体験です。

 

 

 

 

どんな風に最期を迎えるのか。

どんな見送られ方をするのか。

 

 

 

そこに、その人の生き方が出ます。

 

 

そして、

その終わりに接した者は、その生き方に触れ、

大切なメッセージを受け取ることができます。

 

 

 

 

 

急な最期ではありましたが、

毎日、家族の見舞いがあって、

最後の時まで、孫たちがおじいちゃんを慕い。

嫁である私も、義父を慕っていました。

 

 

 

 

 

愚痴や悪口を言わず。

失敗を責めることもなく。

ただ、淡々と自分がやるべきことをやり、

好きなお酒と食べ物を入院するまで楽しんで。

亡くなる1週間前は、仕事もしていたのですから。

 

 

 

だからこそ、見送る側も、

「これでよかったのだ」

と見送ることができる。

 

 

 

 

 

義父こそ、

スベマルなあり方の見本のような人でした。

 

 

 

 

あんな愛ある視点で、私はこの世界を見ることができているのだろうか?

 

改めて、自分のあり方を見つめ直す時間を過ごしています。

 

 

 

 

死を通して、バトンが渡される

 

人の死って、ただ肉体的に終わることではなく。

その人のそれまでの生き方が強く表れる時。

その姿を通して、

残された者が、「生きるための」メッセージを受け取る。

 

 

 

そういう大切な、目に見えないリレーみたいのものだと思うのです。

 

 

 

 

生きている間も、もちろん影響を受けています。

 

でも、「死」はより強く、残された者にメッセージを残すのです。

 

 

 

 

私たちは、大切な人の死から何を受け取るのか。

 

そして、自分は、どんなバトンを渡していけるのか。

 

 

 

 

 

最期に“◯”というバトンを、渡せる生き方ができるように、

自分のやりたいことに遠慮せず、

生きることを楽しみ、

自分にも人にも、バツをつけず、

◯フィルターで、この世界を見ていく。

そして、この世界は、やっぱり「◯だった!」と思いながら、旅立っていく。

 

 

 

そんな生き方を追求していきたい。

 

改めて、自分のオワマルな人生について見つめ直した夏になりました。

 

 

 

 

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